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監修:国立がん研究センター中央病院
清水 研 先生
古谷浩さん

人と違ってもいい、前向きになれなくてもいい
がんになって得たものを大切に「できること」をやっていく

古谷 浩さん(43歳)
発症・告知 31歳/性腺外胚細胞腫
取材日(2017年8月5日)

がんを冷静に受け止め、誰かに相談したいと思うこともなかった

古谷浩さん 受診のきっかけは、数ヵ月続く腹痛でした。胃腸科を受診したところCT検査で異常が見つかり、悪性リンパ腫という血液のがんかもしれないと聞かされましたが、僕はすごく冷静でした。その後、専門病院に入院して精密検査を受けましたが、希少がんである性腺外胚細胞腫と確定診断されるまでにはかなり時間がかかりました。その時には腹痛がかなりひどくなっていたので、告知のショックよりも、「なんでもいいから腹痛を早く治して!」という気持ちでした。

それから約3ヵ月間入院して、抗がん剤治療と残ったがんを取り除く手術を受けました。その頃は中古車販売の仕事をしていたのですが、会社は病気のことを理解してくれて、入院中も病室でできる仕事を続けていました。会社とつながっていられたことは安心でしたね。

ただ、やはり入院中の抗がん剤治療で体力はかなり低下してしまって、退院後はロードバイクで走っていても普通の自転車に抜かれるほど。すぐに息切れしてしまうし、きつかったです。でも、少しずつ体力も回復していき、仕事でも現場に復帰。好きだった野球ができるようになり、1年後には結婚もしました。

よく、がん患者さんを励ますときに「我慢せず相談しよう」「前向きにがんばろう」などと言いますが、僕は落ち込むことは少なかったですし、人に相談する必要もあまり感じませんでした。自分で解決できる人もいるんです。そもそも「がん患者さん」とひとくくりでまとめることが間違いで、一人ひとり、がん腫や治療法、生活、育ってきた環境が違う少数派(マイノリティー)なんだという見方をしなければいけないと思います。

精子凍結しなかったことは結婚後に後悔

抗がん剤治療を始める前に先生から、妊よう性(子どもをつくる能力)が失われることがあるから精子の凍結保存をするかどうか聞かれました。でも、当時はまだ独身で恋人もいない、がんが治るかさえわからないという状態。将来の子どものことなどとても考えられませんでした。凍結保存には費用もかかるし、治療が迫っていたのでゆっくり考える時間もなく、断ってしまったんです。治療が終わって、僕は結婚しました。妻は病気のことも子どもを作れないこともすべて分かってくれていますが、妻のことを考えると凍結保存をしなかったことはとても後悔しています。

先生や看護師さんに言われたのは「やっておく?やっておいたほうがいいよ?」くらいの簡単なものだったように思います。若かったので、そんなデリケートなことをいきなり言われて恥ずかしい気持ちもあり、まともに検討できなかった。あのとき、妊よう性についての詳しい説明やカウンセリングなどがあれば違っていたかもしれません。

同じような状況の人がいたら、将来後悔しないためにもきちんと説明を受け、よく考えた上で判断してほしいと思います。先のことはわからないので、できることがあるなら試してみてほしいです。僕は一度は子どもを持つことをあきらめましたが、これから不妊治療に挑むつもりです。

主治医の協力を得てセカンドオピニオンへ。移った別の病院で若い患者仲間に出会う

日常生活に戻って2年後、がんが再発。以前とは違い、結婚して妻がいたこともあり、ショックは大きかったです。

セカンドオピニオンを受けたいと考えたんですが、主治医だった先生とは信頼関係ができていたので、なかなか言い出せませんでした。明日から治療開始、という段階になり、思い切って「違う病院にも行きたい」と伝えたところ、先生は「ぜひ行っておいで」と胚細胞腫に詳しい先生を3名、快く紹介してくれたのです。全員に話を聞きに行った結果、「やる気があるならとことん付き合います」と言ってくれた先生がいる、県外の大学病院で治療することを決めました。

その病院は、胚細胞腫の治療では国内有数の施設で、全国から患者さんが集まっていました。それまで自分と同じ病気をもつ人と会ったことがなかったので、入院してまず、修行僧のような坊主頭の若い人が大勢いて、楽しそうに過ごしているのを見て衝撃を受けました。

みんなで夜まで談話室でしゃべったり、たまにおいしいものを食べに行ったり。治療が始まるとそこから抜けてベッドで過ごすことになりますが、終わるとまた談話室に戻るという繰り返しで、みんな「治療していないときはただの若者」だと感じました。仲間と一緒だったことで、約2年間の長い入院生活も苦ではなかったですね。

ピアサポートをきっかけに心理学という新たな道へ

古谷浩さん 僕は、再発後の手術によって足が不自由になり、車いすでの生活になりました。もう野球ができないと言われたときは、がんになって一番ショックでした。しかも、僕の仕事は1日1,000台ほどの車を一台一台、歩いて見なければならず、車いすでは難しい業務。会社に戻っても役に立てないと判断し、自ら退職を申し入れました。

がんになってあきらめなければいけなかったこともありましたが、反対に得たものもあります。僕にとって、その最たるものは妻の存在です。妻は、がんになって最初に入院した病院の看護師でした。僕の病気のことも、子どもができないかもしれないことも、すべて理解し受け入れた上で支えてくれています。

また、「精巣腫瘍患者友の会J-TAG」でピアサポーターとして参加したことがきっかけで「人のこころ」に関心を持ち、通信制の大学に入学してきっちり4年間で卒業しました。がん患者さんの役に立てるような心理臨床家になりたいという将来の目標もできました。患者会に参加しなくても、相談したくなくても、前向きになれず落ち込んでいても、そういう気持ちを捨て去ろうとせず、悩みや不安を抱えていることも含めて自分だと知ってもらいたいと考えています。

がんになったことで、あきらめなければならないこともあるかもしれません。でも、将来どうなるかは誰にもわからないから、「どうせダメだ」と決めつけないで、できることがあるなら行動に移してほしいと僕は思います。