がんと離れた一人の女性として、日々を生きる

加藤 那津さん(46歳)愛知県
発症31歳/乳がん
取材日(2025年2月21日)※年齢・地域は取材当時のものです。
女性誌の特集をきっかけにがん検診受診
2008年、女性誌で映画「余命1ヶ月の花嫁」の特集があり、がん検診についても書かれていました。がんになった人が親族にいたこともあり、初めて30歳で子宮頸がんと乳がんの検診を受けました。翌年からは、誕生日の月に受けようと決めて、8月に検診の予約をしました。その3か月ほど前に右胸に痛みを感じて地元の乳腺外科クリニックを受診したのですが、そこでは「乳腺症だから1年後に再診」と言われました。その後、ブラに膿のようなものがついているのを見つけて「ちょっとおかしいのかな」と、検診を予約していたクリニックに連絡し、検診ではなく診察を受けることになりました。マンモグラフィーで石灰化が確認され、大学病院の検査では「擬陽性」でした。問診で家族歴を伝えていたこともあり、9月に切除生検をして、10月にステージ0の乳がんと診断され、乳房温存手術を受けることになりました。
病気とわかり、治療できる安心感を強く感じた
告知の時、先生から「がんです」と言われ、「ガーン!」と答えました。乳がんの情報収集をする中で「がんって診断されたら、私はその瞬間にガーンと言いたい」というのを読んで、私も“その時”が来たら絶対にそう言おうとひそかに思っていたのです。でも、先生や母はそんなことは知らないので、ダジャレを言った想定外の私の反応に、かえって心配になったようです。

20代の後半に精神的に不安定になった時期があり、原因が分からないまま対症療法の薬だけが増えていくという経験をしました。今回は、診断されたことで病気の治療ができるということが、大きな安心感となりました。もちろんショックも受けていて、先生と話したことや母の様子、両親とどういう話をしたかはあまり覚えていません。
若いから、軽いから『つらい』と言わせてもらえないつらさ
乳房温存手術を受けて、放射線治療の前に地元の乳がんの患者会に参加しました。期待していた若い患者さんに出会うことができないばかりか、思いがけない言葉に傷つけられました。「若いのにかわいそう」「若いから治療もしんどくないよね」「軽いからいいわね」というものです。若くても、早期でも、病気がわかりショックを受けていることに変わりはないのに。「軽いからいいよね」とたびたび言われたことで、「他の患者さんはもっと『つらい』のだから、私が『つらい』と言ってはいけないんだ」と思うようになりました。放射線治療で倦怠感やヒリヒリとした皮膚の痛みがあった時も、先生や看護師さんに『つらい』と言えず、『つらい』と言えないということが、私の中で重くのしかかっていました。
病院の地下にある放射線治療室の閉塞感や、仕事をしながらの長期通院という体力面のしんどさに加え、気持ちのしんどさがあり、ある時、倒れてしまいました。それから看護師さんが私を気遣って声をかけてくれるようになりました。患者会で「あなたは軽いからいいわね」と言われたこと、だから『つらい』と言えなくなってしまったことを看護師さんに話すと、「一人で抱え込まないで『つらい』時は伝えて欲しい」と言ってくれました。気持ちがとても楽になって、それから『つらい』と伝えられるようになり、なんとか放射線治療を終えられたという感じです。
ホルモン療法が4年目を迎える頃、局所再発しました。ずっと治療していただけにショックだった一方で、「これでようやく本当の乳がん患者になれた」とも思いました。「軽くていいよね」という言葉にずっと捉われていたんですね。
不安だから調べることで、先生に不信感をいだいてしまった
乳房再建については、ちょうどその年に人工物の乳房再建が保険適用になったこともあり、乳腺外科の先生からは軽い感じで全摘と再建の話がありました。「そうなんだ、再建すればいいんだ」と、私も軽い気持ちでいました。再発は初発と違い、主治医や看護師さんと関係性ができていましたし、異世代ながら相談できる友人ができていたので、落ち着いていました。

ところが、形成外科の先生が人工物の再建手術を初めて行うことや、「放射線治療後の再建はうまくいかない」という情報を聞き、だんだん不安が大きくなりました。不安を払しょくするために乳房再建で評判の先生の講演会を聞きに行ったり、専門書を読んだり、再建経験者の実例を見せてもらったり。とにかく情報が欲しかったんです。でも、知れば知るほど不安は大きくなり、それが先生に対する不信感につながって、先生との関係もあまり良くなくなってしまいました。
それでも手術を決めたのですが、手術直前に発熱してしまい、手術が2か月延期となりました。だんだん冷静になって、先生は「よくしてあげよう」という思いでいてくれたのに、私が頭でっかちになっていたと気づきました。調べすぎる、 知ったつもりになることで、先生を信用しきれなかったのがいけなかったと。それで、再建を前にエキスパンダー(組織拡張器)を挿入するあたりで、私が先生にお詫びをして、関係を修復していきました。
その後、感染症やアレルギーで断念することもなく、無事に再建することができました。理想通りの胸ができたかというと正直納得はしていませんが、薄着でも気になりませんし、温泉にも入れます。胸がない時期を経験せずに済んだのは本当にありがたいなと思っています。
乳房再建を迷っている乳がん患者さんに伝えたいこと

がんと告知されると、それだけで大きなショックを受けて何も考えられなくなります。何がわからないのかがわからないので、質問することも知っておくべきこともわかりません。
だから医療者の方々から、今、どういう治療があって、何を考えればよいのかを伝えて欲しいです。たとえ自分の病院で対応していなくても、提携先を紹介することもできるはずです。乳房再建が保険適用になって10年が経ったとしても、患者さんは初めて経験することなので何も知りません。
もし友人から聞かれたら、私が知っている範囲のメリットデメリットは伝えますが、乳房再建について知りたいなら、それに特化した患者会を知らせます。患者さんの病状に詳しいのは主治医なので、疑問があったら先生に相談するように勧めます。私の経験を話して不安にさせるよりもそういうことを紹介したいなと思います。
遺伝性乳がんは体質みたいなもの、がんは切っても切れない関係
局所再発があり、遺伝性がんの条件に自分が当てはまっていると感じて、遺伝性の検査をしたいと遺伝カウンセリングを受けました。当時は検査が保険適用外であり、家族歴から遺伝性が推測でき、遺伝性とわかっても手術法が変わるわけではないなどの理由で検査を受けることは勧められませんでした。それでも、やはりがん家系だったのではっきりさせたいという気持ちがありました。
米国の女優、アンジェリーナ・ジョリーさんの予防的乳房切除術が大きな話題となった年、自費で遺伝学的検査を受け、「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」だとわかりました。遺伝であれば体質みたいなものなので誰かを責める気持ちはありませんが、がんとは切っても切れない関係にあるんだなと思いました。
去年、予防的に卵巣卵管を切除しました。乳がん治療のホルモン療法の際に副作用の更年期のような症状がひどかったため、予防的切除をして完全に閉経状態になったらまたあのひどい更年期症状が出て辛くなるだろう、でもホルモン陽性の乳がんだからホルモン補充療法はできないから辛いことしか想像できないし、進行がんの患者が予防的切除はやりすぎと言うことを医療関係の友人にも言われていたので、もともと予防的切除についてはあまり考えていませんでした。それが、3年ほど前に完全に閉経しましたが、心配していた更年期症状がほとんど出なかったので、臨床遺伝専門医である婦人科の先生と相談して手術しました。自分では隠すことではないと思っていますが、遺伝性がんや予防的切除についてはなかなか理解が進んでいないと感じています。ですので、予防的切除のことは、ごく一部の人にしか話していませんでした。
親にもわからないことがある。思っていることは言葉で伝えよう

両親は、病気になる前から、私がやりたいと思うことを理解して応援してくれます。病気になってからは特にそうで、本当に感謝しています。それでも副作用がつらい時には「私の気持ち、お母さんにはわからないでしょう」と不満をぶつけたり、わかってくれないことに落ち込んだりすることがありました。でも、ふと思ったんです。私も「若くしてがんになった子どもの親」の気持ちはわからないし、親だからといって私が考えていること全てがわかるわけじゃない。それからは、私が考えていること、病気に関して言って欲しくないことや逆にやってもらいたいこと、そういうのは、言葉にして伝えるようにしています。それに気づけたのは結構大きかったかなと思います。
がん患者ではなく、一人の女性として「老後」を生き抜く
がんがわかった時には考えられませんでしたが、今は、現在やっている治療がよく効いてくれているので、私にも「老後」があるかもしれないと、思えるようになりました。老後があるのはとてもありがたいと同時に、それなら将来のことを現実的に考えなければいけません。不安まではいかないのですが、そういうことを考える時があります。
これまでは「がん患者の加藤 那津」でしたが、通院と薬を飲んでいる時以外は1人の女性として生きていきたいです。そこで、がんと離れた生活がしたくて、患者会や学会、がん関連の団体の活動をやめました。病気の治療のことは先生と一緒に考えたい。私の病気のことを一番知っているのは主治医の先生であって欲しいし、先生から教えてもらいたい。これまで病気を知るために費やしてきた時間を、これからは別のことに使いたいんです。

ミシン教室で自分やペットロボットの服を作るのが本当に楽しいですし、部屋には布や手芸用品をもっと充実させたいです。今は趣味の手芸ですが、いつか販売できるようになりたいです。
子どもホスピス関連の活動で知り合った方に教えてもらったのですが、小児病棟では、ケア帽子やCVカテーテルのケースなどのグッズも必要になります。でも、ご家族は付き添いもあって作れないのだそうです。私もCVポート用のTシャツを友人に作ってもらったことがありますが、そういう子どものための洋服やグッズを作って提供するのが当面の目標です。
進行がんになったことで『後悔しない最期を迎える』ために「やりたいことリスト」を始めました。今は、『生きること、老後を迎えること』ができるかもしれないので、そのための目標や夢を考えながら、日々を過ごしています。
- 監修:がん研有明病院 腫瘍精神科 部長 清水 研 先生
2025年4月更新