「今」に視点をおいて人生を生き切ることに意味がある
秦 千翔さん(32歳)東京都
発症28歳/悪性リンパ腫
取材日(2023年10月13日)※年齢・地域は取材当時のものです。
首のしこりに気づいてから半年後、左手のむくみで緊急入院に
ゴールデンウイーク中のある朝、首の両側に突然こりこりしたしこりができて、連休明けにクリニックを受診しました。その後も4カ所の病院を受診しましたが、検査しても原因が特定できませんでした。中には、悪性リンパ腫の可能性を指摘する先生もいらっしゃいましたが、紹介先の病院ではやはり年齢的にリンパ腫の可能性はないと言われました。
半年ほどたったころに、左手が痛みと共にぷくぷくにむくみ、右手の倍ぐらいになったんです。驚いて病院に行ったら、鎖骨の下の静脈に血の塊があり、おそらく悪性リンパ腫によるものだと言われました。リンパ腫の型を確定する必要があると説明され、その日のうちに病理検査のために首のしこりを採りました。そしてスマホしか持っていない状態で緊急入院。私、どうなるんだろうみたいな状態でした。
「この世のこと、人間のことをもっと知りたい」がんを経験して学問の道へ
首のしこりが悪性リンパ腫と確定するとすぐに骨髄検査をしました。腰骨に太い針を刺して骨髄組織をとるという、聞いただけで「やだやだやだ」と言いたくなる検査でした。検査が終わったら急に「私、がんだったんだ」「どうして私が?!」「まだやりたいこともいっぱいあるし、死ぬ準備なんかできてない」「私まだ28だよ」など、感情がぶわーっと襲ってきました。
しこりやむくみの原因が分かって少しほっとしたのもありましたが、それ以上に自分が死ぬかもしれない病気になったことがとても怖かったんです。特に、1回目の抗がん剤治療後に5年生存率を知った時は、めちゃくちゃ落ち込みました。明日の自分が果たして元気なのか予測がつかないのがつらかったですね。治療中にスーパームーンで綺麗なお月様を見ていた時、隣にいた母の「次も一緒に見ようね」の言葉に「やめて!無理かもしれないからそんなこと言わないで」って返してしまいました。
がんという非常につらい経験に直面して、私の心は大きく動かされました。同時に自分の新たな一面にとても興味を持ちました。元々、人間にすごく興味があり、「どうせ死ぬんだったらもっとこの世のことを知ってから死にたい」と思うようになりました。退院後、「この世」を作った「人間」を知りたくて、通信制の大学で心理学を学びました。来春からは大学院で、人間の心と身体の相互作用について研究する予定です。
患者さんがありのままの気持ちを話せる場が必要
告知を受けた時、とても孤独を感じたんです。「がん」と告げられた瞬間に「健康な人」というカテゴリーからポーンってはじき出されちゃった気がしたからです。周りの28歳は転職だ、結婚だという話をして前に進む中で、私だけが死と向き合っている。誰かと繋がらないときっと私は死んでしまうと思いました。
がんの患者会を調べてすぐに登録し、「どうやってがんを受け入れたのか」質問しました。いろいろな方が答えてくれたおかげで、少しずつ折り合いをつけることができました。
がんになっても、友達や家族など元気な人には元気な人用の話し方をすることもあります。「私、大丈夫だから」って。でも、「本当は治療やめたい」「お家に帰りたい」そういう安心してありのままの話ができる場が必要なんですよ。今は、自分の経験を誰かの役に立てられたらいいなと思って、患者会『AYA GENERATION + group【アグタス】』のスタッフになっています。
私は、転職のために仕事をやめたタイミングでがんと診断されました。社会保険にも生命保険にも加入しておらず、もらえる公的サポートが限られていました。多額の治療費を前に病気が治っても生きていけないなと思ったくらいです。がん相談支援センターでは、そのような悩みを聞いてくださり、がん患者雇用に理解のある企業を紹介できるハローワークにつないでもらいました。誰しもが身近に相談できる人がいるわけではありませんし、身近な人だからこそ相談できないこともありますよね。そういう点で、第三者のしかも医療的な知識もお持ちの方に無料で相談できるがん相談支援センターは、とても貴重な場だと思います。
誰かと人生を一緒に歩きたい。がんになって婚活を始める
自分の5年生存率を知った時「親を憎んだまま死にたくない」と思い、疎遠になっていた両親に連絡をしました。母は自分のことを二の次にして中国から日本に来てくれました。昔のわだかまりが完全に消えたわけではありませんでしたが、治療や学業のサポートをしてくれて本当に感謝しています。家族以外にも長い付き合いの友人が、私のことをずっと支えてくれています。友人関係にはすごく恵まれたと思っています。
恋愛関係はどうかというと、28歳でがんになった頃の私は、自分は一生独身だろうと思っていました。初めての抗がん剤治療の朝に主治医から妊孕性について聞かれた時も、その治療が妊孕性への影響が小さいということもありましたが、子どもを欲しいと思っていなかったので、卵子凍結は選択しませんでした。
今年、定期検診で再発が見つかったのですが、今度は、妊孕性が保てなくなるリスクが高いと説明されました。幸いごく初期の段階で妊孕性温存のための時間的な余裕もあったことから、リプロダクティブ・ヘルス専門の婦人科の先生から説明を受けました。特に子どもが欲しいと思っていない私は、10%の妊娠確率のためにそんな痛いつらい、手術に準ずるような処置をしたいとは思いませんでしたので、今回も妊孕性温存はしませんでした。
ただ、がんになる前は結婚する気はなかったのですが、がんになって人生を一緒に歩んでくれる伴侶がいるって素敵なことじゃないかなと思うようになり、婚活を始めました。これは、自分の中でも大きな変化だったと思います。ありがたいことにお付き合いをする人と出会い、再発した時もその人に助けられました。
怖い気持ちがわかるからこそ「抗がん剤で治ったよ」と伝えたい
抗がん剤治療は、妊孕性に影響するだけでなく、つらい副作用やアピアランスの問題もあります。SNSで「抗がん剤は怖いからやりたくない」「抗がん剤は毒だからやらない方がいい」という投稿を目にすることがあります。
怖い気持ちは分かります。私も抗がん剤の説明を受けた時に、できることならこのまま病院から逃げて家に帰りたいって思いました。でも、何年もかけて開発された薬で、何百人、何千人が治験を繰り返して、これならばがんを治せる確率が一番高いだろうという薬が使われているわけです。私のタイプのがんは抗がん剤が効きやすかったということもあるかもしれませんが、私は、がん患者が生き延びるためにはやはり抗がん剤は必要なものだと思っているんです。
そこで、自分の経験をSNSで発信したり、このような機会をいただいたりする時に抗がん剤の治療についてお話をしています。抗がん剤治療に不安を抱いている方にこのメッセージが届けばいいなと思います。
人生に意味を求めるのではなく、人生を生き切ることに意味がある
今年、再発しました。夏に治療をして寛解して、 今は経過観察をしています。これから再再発の可能性はあります。再発するごとに治療はきついものになっていくので、なんでこんな病気になってしまったんだろう、いつまで私は生きていられるんだろうと思うこともあります。それでもがんになってしまったものは仕方がないですし、「私はがんだけど、でも、今は生きているもんね」というように、自分の視点を「今」に置く、そういうことができるようになりました。
就活中に出会った『夜と霧』というすごく好きな本があるんです。作者は、ユダヤ人の精神科医で、第二次世界大戦下の強制収容所で自分が考えたことや周りの人の様子を描いています。この本を読んで、「人生に意味を求めるのではなく、人生を生き切ったところになぜ私は生きていたのか、なぜ生まれたのかという意味が生まれてくる」と解釈しました。
がんになるまでは何かになるとか、何かを達成するということに強いこだわりがありました。がんになった直後は、思い描いていた未来に行けないじゃないか、と腹が立ちました。でも今は、目標はあるにしても、そこに至るまでのプロセスや、自分がどれだけ遠くに行けるかという、その過程を楽しめるようになった気がします。たとえまた再発してしまって死んでしまったとしても、私がやったことは消えませんし、そこに至るまでの道のりを歩んだということに意味があるのではないかと思います。そういう意味で「今」にフォーカスできるようになったのは、フランクルの『夜と霧』のおかげだと思います。
がんになる前は、20代でスキルを身につけて30代には独立して、週4日で働きながらマンガを描けたらいいなと思っていました。20代は30代でマンガを描くためにある、20代で生活を整えようと考えていました。でも今は、マンガを描きたいことには変わりないのですが、そのために今の生活を捧げようとは思いません。マンガも描きたいし、脳科学の勉強もしたい。他にもやりたいことがあって、そういうものを同時並行でちょっとずつ進めて行きたいなと思っています。とても欲張りになりましたね。
いつか、人の心に沁み込むような物語を描きたいです。大好きなこの世界で、自分が経験した素敵なことや美しいこと、つらいことやきつかったことを、私のフィルターを通して何か形にしていきたいなと思っています。
- 監修:がん研有明病院 腫瘍精神科 部長 清水 研 先生
2024年2月更新