AYA世代のがん患者さんの声~あの時の自分から、今のあなたへ~

AYA Lifeでは、20代のがん患者さん9名から協力を得て、診断を受けた当時のことや、その後のさまざまな悩みを振り返って頂きました。

少し時間が経った今だから思える、あの頃の私と今の私。それは、勉強、学校、先生、そして就職のことであったり、あるいは親、友達、恋愛や将来の結婚のこと。

悩みの中には、解消されたものもあれば、解消されなかったものもあります。皆、受け止め方はさまざまです。おかれた状況や価値観は多様だとしても、もし自分が共感できる実体験やアドバイスがみつかれば、何か心の中で変わるものがあるのかもしれません。

個人の感想のため、できるだけアンケートにご回答いただいた通りに掲載しています。また、アンケートにお答え頂いた方のお名前は個人情報保護のため、本名ではなく仮名を使用しています。

初めて診断された時のこと

彩さん診断時期:大学4年生の春、白血病、女性

はじめは他人事のような感じで、ショックとかではなく頭が真っ白でした。そして徐々に冷静になり、事態がわかってくると、大学など生活に関わるところは問題ないか、と心配になり、その後やっと体のことを考えるようになり、この先どうなるのだろうと不安になりました。

千尋さん診断時期:高校1年生の冬、未分化胚細胞腫(卵巣原発)、女性

祖父や祖母ががんだったこともあり、がんはお年寄りの病気であり、「がん=すぐ死ぬわけではない」というイメージがありました。

麻衣さん診断時期:高校1年生の10月、骨肉腫、女性

両親は「9割方、骨肉腫でしょう。」と先に医師から告げられていたみたいですが、万が一良性だった時のためにハッキリと診断が確定されるまで私には黙っていてくれました。ですので、がんという診断される前に針生検を受けたのですが、そのときは全くがんだと疑わずにいました。ただ、何かどんどん大ごとになってしまっているなぁ…と感じていたくらいでした。そしてセカンドオピニオンでがんセンターへ。

そこで主治医の先生から「もうここまできたから本人にも直接言うけど、松本さんは骨肉腫という骨のがんです。」という診断を受けました。今覚えているのは、本当に頭が真っ白になって何も考えられなくて、なのに涙が止まらなくて、両親も泣いて私に謝っていて。ただただ涙が止まらなかったのを覚えています。

混乱して何を考えたらいいのかも分からなくてなっていたら、主治医の先生のご配慮で、診察室の外で家族と今後の話し合いをさせてもらいました。

混乱もしていたけれど、まずは両親がしっかりと意思を持っていて、がんセンターで治療をしたいということ、院内学級があるから仲の良い部活の仲間と一緒に卒業ができること、母は当時東京の大学に進学していた姉と一緒に住むことで入院中は毎日顔を出せるということを説明してくれました。お陰でだいぶ不安が軽減され、納得して初めての入院・治療に迎えることができました。

翔太さん診断時期:大学2年の春、悪性リンパ腫、男性

診断直後は「死んでしまうのか」と凄く悲観的でありましたが、数日後からは家族をはじめとする周りの方を悲しませたくないと思うようになりました。

拓也さん大学1年生の春、急性リンパ性白血病、男性

あまりにも意外過ぎて、ショックを受けることもなかった。

美穂さん診断時期:大学4年生の夏、肝細胞がん、女性

がん=死、というイメージがあったので、目の前が真っ暗になった。

涙が溢れた。嘘じゃないかと受け入れられなかった。

健太さん診断時期:大学1年の冬、精巣腫瘍、男性

頭が真っ白になった。死ぬと思った。

瞳さん診断時期:大学1年生の夏、子宮頸がん、女性

どうして自分が、という気持ちでいっぱいでした。がんって何?という、自分のことを言われているとは思えない気がしてなりませんでした。つらいとか苦しいとか、そういう感情がすべて抜け落ちていたような気持ちでした。

清香さん診断時期:高校3年生の冬、骨肉腫、女性

自分にそんなことが起こるなんて信じられなかった。死を意識してしまい恐怖を感じたが、いつも通りにしたくて周りにはあまり感情を出さないようにしていた。

あの頃の悩み

彩さん診断時期:大学4年生の春、白血病、女性

体力の低下や治療による体調不良(精神的な面も含め)により、今まで通りに学校に通うことが難しくなった。今まで通りに行動できない自分に焦りやもどかしさがあったが、誰にも相談できず、一人で抱え込んでいた。

学校を休んだり、遅刻したり、早退しがちだったことに対し、病気になったことを知らない同級生からは「ちゃんと学校、来なよ」と言われることがあり、本当の理由を言ってもいいものか?本当の理由を言って離れていかないか?と悩んでいた。

就職の時にも、病気を持っていることを素直に伝えなくてはいけないかどうか悩んだ。

千尋さん診断時期:高校1年生の冬、未分化胚細胞腫(卵巣原発)、女性

勉強についていけない。体力がないので友達のペースについていけない。結局成績が足りず、行きたい学校へは行けなかった。

後は、担任以外の教員の理解不足から、指導内容に不満があったが、そのことが本当に嫌だったということが誰にも言えなかった。当時、元気であることをアピールするために自分の弱音を全て押し込んでしまったことも今から考えれば大きかったんだと思う。

麻衣さん診断時期:高校1年生の10月、骨肉腫、女性

私の場合、入院中は院内学級へ転籍をしていました。だから入院中は高校の授業も受けることができていたり、院内学級内で友だちができていたり、入院中であってもとても心地よく楽しい学校生活を送れていました。

その反面、原籍校は県内有数の進学校だったので、勉強も難しく授業のスピードも早かった。その結果、院内学級で勉強していてもどんどん差がついてしまいました。またその「遅れ」に対して、自分が焦りと恥を感じてしまい、とても苦しかったです。再発を繰り返していたので、大学受験は間に合うのか不安が多かったです。

友人関係については、もともと中学の時、地元からは少し離れて生活していたため、半年しか原籍校に通えなかった私は、クラスに友だちは少なく不安でした。しかも1年ぶりの復学でクラス替えがあった上に復学後すぐ修学旅行があって、あまり楽しめませんでした。

恋愛は、再発を理由にどんどん自分に自信がなくなり、そうすると恋愛に対しても自信がなくなり、臆病になりました。

美穂さん診断時期:大学4年生の夏、肝細胞がん、女性

進学しようと思っていたが、受験を諦めた。次の年に挑戦しようと思っていたが、再発転移したため叶わなくなった。

健太さん診断時期:大学1年の冬、精巣腫瘍、男性

病気前の自分と病気後の自分の間に、体力、容姿、考え方のギャップがあり、友人や彼女との間に距離ができた。恋愛に消極的になっていった。就活の時、がんであることを面接で言うか迷った。

瞳さん診断時期:大学1年生の夏、子宮頸がん、女性

勉強も友人関係もどちらも同じような悩みです。戻った時にはもうみんながそれぞれのグループに分かれていて、入り込めない感じがした。休んでいた間、あたりまえだけれど、周りは周りの時間が進んでいたので、自分だけが取り残されたような感じでした。それを取り戻そうというパワーは、その時にはなかなか出てきませんでした。

清香さん診断時期:高校3年生の冬、骨肉腫、女性

新しくできた友人にどこまで説明するか。おおまかに説明していたら、曖昧にしていると思われてしまったことがある。がんであるということで、恋愛にはどの程度影響するのかは相手によると思う。自分ががんだということで、嫌だと思う人もいたし、逆に張り切ってしまう人もいた。

今振り返って思うこと

彩さん診断時期:大学4年生の春、白血病、女性

友人関係は良好に築けていると思う。最初は、病気のことを言えないことに悩んでいたが、自分から病気のことを伝えたら、周りの友人達は優しく受け入れてくれ、一人で抱え込まなくていいんだと気が楽になった。

恋愛については、時間が経ち、自分が病気を受け入れることが少しずつできるようになった。そして、就職し、今の仕事に慣れつつあり、気持ちの余裕ができた。それから、患者会を通して、恋愛や結婚をしたサバイバーの存在を知った。こういった経験を通して、恋愛に前向きになれたように思う。

ただ、今も闘病中のため、さまざまな悩みを1つ1つ整理して、より良くしていこうと考えている。

麻衣さん診断時期:高校1年生の10月、骨肉腫、女性

親が試験でどんな点数を取っても、とても寛容に受け止めてくれたことがありがたかったです。それによって勉強に対するプレッシャーから解放されて楽になりました。友人関係は、部活の仲間がとても仲がよかったので、最初こそお互い気を使っていましたが、少し時間が経ったらすぐに元に戻れました。また部活の仲間を介して他の同級生とも仲良くなれました。

ただ、恋愛は・・どうしたら良かったのでしょうか・・・笑。

翔太さん診断時期:大学2年の春、悪性リンパ腫、男性

その場では全てにおいて解消できていなかったように思います。でも、年を重ねる毎に考え方が変わり、病気に関する悩み事を受け入れやすくなりました。

瞳さん診断時期:大学1年生の夏、子宮頸がん、女性

勉強は、先生の所へ行って、補講というような形でそれまでのことを少しでもキャッチアップできるようにしてもらいましたが、完全には取り戻せなかったと思います。

友人関係については、クラスの友達には病気の事は言っていなかったので、自分自身からも距離をおいてしまったし、学校以外に友達をつくれば良い、そう思うようになってしまいました。今思えば逃げていて、逃げたから余計につらかったんだと思います。

清香さん診断時期:高校3年生の冬、骨肉腫、女性

友人へのがんの伝え方は、最初にはっきり言ってしまうことにした。その方が面倒がない。ただ、恋愛の悩み、これは完全な解決はないと思う・・・

あの時こんな情報があれば良かった

彩さん診断時期:大学4年生の春、白血病、女性

闘病中、特に、入院中や退院して通常生活に戻ったとき、悩みを打ち明けられる環境があれば良かった。そして、同じように若くして闘病している人と話す機会が欲しかった。

現在もだが、自分の病気の情報がもっと気軽に手に入る環境が欲しい。今は自分で病院や講演会やセミナーに行くなど、積極的に調べないと情報は入ってこない。インターネットだけでは正確な情報かどうかもわからないし、欲しい情報を探すのは難しい。

翔太さん診断時期:大学2年の春、悪性リンパ腫、男性

同じがん種で尚かつ同年代の方との繋がりが欲しかった。

拓也さん大学1年生の春、急性リンパ性白血病、男性

自分と同じような経験をした人の体験談や入院中に参考になるような情報が欲しかった。

美穂さん診断時期:大学4年生の夏、肝細胞がん、女性

将来の妊娠、出産への影響など、妊よう性のことは知りたかった。

健太さん診断時期:大学1年の冬、精巣腫瘍、男性

同世代のサバイバーの生の声や考え方。

瞳さん診断時期:大学1年生の夏、子宮頸がん、女性

学校については特別扱いをして欲しいとはまったく思わないけれど、例えばがん、という事情があって休んでいたのだから、本人の努力でどうにもならないところで休まざるをえない学生のケアは、やっぱりして欲しいなぁと思いました。

情報については、きっと与えられていたのだと思うけれど、その時の自分で受け取れていなかったことも多いと思います。後で冷静になって振り返ることができるように、例えば病気ノートのような病気ファイルというか、お薬手帳のような記録ノートが有れば良かったなと思います。

清香さん診断時期:高校3年生の冬、骨肉腫、女性

治療中は同世代の患者に会えなかったので、若い人の存在だけでも知りたかった。

現在悩んでいるAYA患者の皆さんへのメッセージ

彩さん診断時期:大学4年生の春、白血病、女性

一人で抱え込まず、患者会などを利用して、なるべく仲間のサポートを受けて闘病生活を乗り越えて欲しい。

千尋さん診断時期:高校1年生の冬、未分化胚細胞腫(卵巣原発)、女性

がんになると大変なことはたくさんある。でも、同じ経験をしている仲間もいる。

一人で抱え込む必要はない。

麻衣さん診断時期:高校1年生の10月、骨肉腫、女性

今は病院内でもたくさんの先生方と関わり合う「チーム医療」が進んできていて、一人の患者さんに対して様々な分野の先生が、治療や日常生活をより良くする知恵やコツを教えてくださいます。ぜひ先生方に頼ってみてください!

特に私の通っているがんセンターでは、整形外科、小児科、緩和医療科、精神腫瘍科、臨床心理士、放射線科、アピアランス支援センター、院内学級の教員、と実に様々な方に診ていただいているのですが、どの方も素晴らしかったです。

拓也さん診断時期:大学1年生の春、急性リンパ性白血病、男性

治療のことはもちろん、治療後のことで悩むこともあるとは思いますが、何事も自分としての選択を大切にして欲しいです。

美穂さん診断時期:大学4年生の夏、肝細胞がん、女性

今はつらいと思うけれど、必ず気持ちは落ち着いてきます。一人じゃないよ!と伝えたい。

健太さん診断時期:大学1年の冬、精巣腫瘍、男性

無理に元気に振る舞う必要はない。辛い時は辛いで良いんです。

瞳さん診断時期:大学1年生の夏、子宮頸がん、女性

ひとりで抱え込まないで欲しい。そして周りの助けを借りる勇気をもって欲しいです。

思っている以上に、周りは「何をしたら良いのかわからないでいる」ということが、少し経ってからわかってきました。もっときちんと言えばよかった、と今になって思います。

それで離れていく友達はそれまでで、仕方がないけれど、もっと仲良くなれた友達もきっといたんじゃないかな、と今は思えます。

清香さん診断時期:高校3年生の冬、骨肉腫、女性

若いのにがんになるのは、あなただけじゃない。

たくさんの人が一緒に頑張っています。

  • 監修:がん研有明病院 腫瘍精神科 部長 清水 研 先生

2024年2月更新