これからの生活への不安は消えないけれど、
たくさんの人との出会いで自分の世界は大きく広がった

高橋尚希さん

高橋 尚希さん(31歳)北海道在住
発症・告知 26歳/肺がん

取材日(2018年4月6日)※年齢・地域は取材当時のものです。

セカンドオピニオンを受け、納得して治療と向き合えるように

高橋尚希さんのインタビュー時の写真

空咳(からせき)が1ヵ月ぐらい続き、近所のクリニックを受診したのが最初でした。クリニックでレントゲンを撮ったら「肺に影がある」との指摘を受け、総合病院でPET-CT検査をするように言われました。「PET-CTってなんだろう」と受診前にネットで調べたら、がんの検査だとわかり、「ああ、がんなのか」と思いました。ですから、告知されたときは「やっぱり」という気持ちでしたが、リンパ節転移があり、手術もできない「ステージⅣ」という診断にはさすがにショックでした。
すぐに抗がん剤治療が始まったのですが、今度はつらい副作用との戦いでした。生きるための治療なのに、副作用がつらくて「いつまで続くのか」「これからどうなるのか」と、どんどん落ち込んでいきました。治療の効果が出るともちろん嬉しいのですが、効果が落ちると薬を変えなければならず、その度に「次はどんな副作用が出るんだろう」と不安でいっぱいでした。
あまりのつらさに「本当にこの治療法しかないのか」と考え、セカンドオピニオンを受けることにしました。そこで「今の治療法が最善の方法」と言われ、ようやく自分自身で納得して治療と向き合えるようになりました。納得できたからこそ、主治医に対する信頼はさらに強くなりました。

収入が減る不安と職場に迷惑をかけることへの罪悪感

生活面では、収入が減ることが何より不安でした。電気工事に関する仕事をしており、診断後は調子の良い日だけ仕事をさせてもらっていましたが、治療や体調が悪いために休んだり十分に仕事ができない日の方が多く、会社や仲間に迷惑をかけているという罪悪感も常にありました。
会社は親身になって対応してくれて、治療のための休暇取得や傷病手当金の申請もさせてもらいましたが、休職中でも支払わなければならない社会保険料の負担から、会社と相談して退職することにしました。私は実家で暮らしており、収入が減っても生活できますが、治療費や生活費を負担してくれている親への申し訳なさから、少しでも自分の収入を得ておきたかったので、利用できる制度は自分なりにかなり調べました。傷病手当金がなくなるタイミングで脳への転移が見つかり、障害年金を申請できましたが、申請から受給までに6ヵ月もかかり、その間は貯金を切り崩して生活するしかありませんでした。今は障害年金を受給できていますが、少ない収入でこの先どうしていけばいいのかという葛藤は常にあります。
体調が安定して元の職場に復職することはできましたが、復職後すぐの頃に少し無理をしたら一過性の全健忘(ぜんけんぼう)になってしまい、頑張りたい気持ちはあるのに頑張れないことがショックでまた落ち込みました。今は、月100時間以内という勤務形態にしてもらったので、仕事が少ないときや体調が悪いときは早めに帰ったり休んだりと、調整しながら働いています。

新しい記憶を維持する能力と起こった出来事を思い出す能力が、一時的に突然失われる記憶障害

外見の変化でつらい思いをしたことも

病室のベッドに座っている高橋尚希さんの写真

仕事や収入のこと以外にも、がんになって変わったことはいろいろありました。その一つは味覚障害です。味がわからなくて果物などしか食べられない時期と、味覚が戻った反動で味の濃いものが食べたくなり、カップラーメンやステーキなどをドカ食いする時期を繰り返すうちに体重が10kgぐらい増えてしまいました。
外見(アピアランス)の変化では、抗がん剤治療で髪の毛が抜けたことがショックでした。治療が終わるとまた生えてきましたが、また次の治療で抜けるの繰り返し。いつも帽子をかぶって坊主にした頭を隠していました。でも、ある時、その姿を見た友人が「お!出家したんか」と笑ってくれて、「自分が気にしているほど周りは気にしていないのか」と思えたら、気が楽になりました。笑い話にしてくれた友人には感謝しています。
治療に対するつらい気持ちを和らげてくれたのは、化学療法室やがん相談支援センターの看護師さんです。話していくうちに仲良くなり、今ではすっかり友達です。病院に来て、何気ないおしゃべりをして、笑って、それだけで楽しい。家に一人でいるとネガティブにばかり考えてしまいますし、外に出ても、どこに行くわけでもなく散歩するだけ。病院に行く日はとても楽しみで、よい気分転換になっていました。

多くの人との出会いは「キャンサーギフト(がんがくれた贈り物)」

私が前向きになれたのは、多くの人と出会い、交流を深めることができたからです。そのきっかけは「がんサロン」に参加したことでした。そこで若年性のがん患者の会「STAND UP!!」のことを教えてもらい、参加して本当に驚きました。そこには、今まで病院でも出会ったことがなかった同世代のがん患者さんがたくさん参加されていて、仲間からいろんな情報を聞けたり、イベントがあったり、同世代の肺がん患者さんとも初めて出会うことができました。それからは、気持ちがどんどん前向きになっていきました。
肺がん患者の会「ワンステップ」への参加や、札幌で開催された「がんノート」のイベントでもたくさんの方と知り合い、仲間がどんどん増えています。SNSで仲良くしていた患者会の仲間が、遠方からわざわざ北海道まで会いに来てくれたこともあります。
僕はもともと社交的な人間ではないので、がんになっていなかったら、こんなに多くの出会いは得られなかったと思います。私にとってこの「人とのつながり」は、キャンサーギフトです。

家族や友人が「変わらない」でいてくれることが嬉しい

卓球をしている高橋尚希さんの写真

私が病気になってから、父は病気についての様々な情報を調べてまとめてくれています。母は心の中では心配しているのでしょうけど、良い意味で何も変わりません。普段通りに接してくれることが私にとってはすごくありがたいです。
昔からの趣味である卓球や友人たちとのスキーは今も楽しんでいます。私はオープンな性格なので、友人たちには、診断されたその日に「肺がんになった」と連絡しました。それをきっかけに、家が離れて疎遠になりつつあった友人と再び連絡を取り合うようになり、セカンドオピニオンを受診する機会を利用して会いに行くこともできました。

どこにいても患者同士が「つながる」ことができる世の中にしたい

スキー場でリフトに乗っている高橋尚希さんの写真

最近、多くのがん患者さんと出会う中で、自分も何か「生きた証し」を残したいと考えるようになり、いろいろな資格取得にもチャレンジしています。また、北海道に住んでいるがん患者さんのつながりを作るための活動にも協力していくつもりです。患者会の規模、イベントや情報の量も、東京と北海道では全く違っていて、「地域格差」を感じます。北海道にも身近に仲間がいることを知ってもらい、全国のがん患者さんとのつながりや患者会の中で自分が得た情報を北海道のがん患者さんに提供していきたいです。少しでも自分がもらったギフトの恩返しができるように、私の経験から誰かを笑顔にできればうれしいですね。

  • 監修:国立がん研究センター中央病院 清水 研 先生