がんになって再構築した人生のパズル。最後のピースは「仲間」の存在でした

菅原祐美さん

菅原 祐美さん(33歳)宮城県
発症・告知29歳/乳がん

取材日(2018年11月27日)※年齢・地域は取材当時のものです。

告知からしばらくはテレビドラマを見ているような感覚

菅原祐美さんのインタビュー時の写真

29歳の誕生日を迎えた10日後、たまたま腕が左胸にあたって痛みを感じたのが最初でした。今まで感じたことのない異様な感覚があったので、触って確認すると、明らかにしこりがあり、すぐに地元の病院を受診しました。検査の結果は母と聞きました。その前日の金曜日、ひとりで病院に行くと「まだ結果がでていないので改めて電話します」と言われ、翌日、母の運転する車に乗っている時に「ご家族と一緒に来てください」という電話があったので、これは私がひとりで告知を受けない配慮だと感じ、悪い結果を覚悟しました。
病院で「乳がんです。とにかく進行が早いタイプです。紹介状を書きますので仙台の総合病院に行ってください」と言われたときは、衝撃が大きすぎて驚く余裕もなく、告知が音声としてただ耳に入ってきただけで、自分ごととは思えませんでした。
一緒に聞いていた母は、医師の「残念ながら悪性でした」という言葉に「残念ってどういう意味よ」と怒っていました。2~3日後に母がパート先に娘が乳がんになったことを泣きながら電話しているのを見てしまって、これから先も母の前では泣けないな、と感じたのを覚えています。

緩和ケアの看護師さんのサポートで、納得して治療方針を選択

自分のことという実感がないまま紹介先の仙台の病院についてインターネットで調べていると、病院のWebサイトに緩和ケアの情報を見つけました。この時知識がない私は、“緩和ケアは終末期に相談するところ”、と思いながらも読んでみたところ、告知の時も専門の看護師が同席して分からないことを説明します、と書いてあったのです。すぐに病院に電話をして、「これから紹介状をもってそちらに行く者ですが、緩和の看護師さんも一緒に説明を聞いてほしいです」とお願いしました。
実際に立ち会ってくれた看護師さんは、主治医の説明のあと、各種検査の目的や方法から治療方針の意味まで丁寧に説明してくれました。がんが見つかったのが11月だったので、治療開始は年が明けてからという話だったのですが、看護師さんが「若い方だから早くしてあげてください」って言ってくれて、年内に治療を始めることになりました。
乳房を全摘するか温存するかについて、私は知識がなかったので全摘する方が再発率は低いのではないかと思っていました。でも主治医や看護師さんに聞いたら、私の場合は再発率にそれほど差がないことや人間の体の臓器にはそれぞれ機能があるから温存できるのであれば温存でいいと言われました。丁寧に納得できるように説明してもらったので、迷うことなく温存することを選択できました。
また、最初に診断された地元の病院で「若いので妊よう性の温存のことを考えると思うので仙台の病院に言ったら聞くといいよ」と言われたので、妊よう性についても主治医に相談しました。しかし、当時はまだ生殖医療専門のクリニックと連携できている病院は少なく、「温存できても年間費用が継続的にかかるので、結婚やいつ頃子供がほしいといった予定がないのであれば、よく考えたほうがいいよ」と言われて考えた結果、継続的に費用を払っていくのはやはり難しいと思い、治療を優先しようと決めました。
治療方針を決めるさまざまな場面で、緩和の看護師さんが主治医の説明をわかりやすく解説してくれ、相談にのってくれたおかげで、私は常に納得して治療方針を選択することができました。納得がいくまで、何度も何度も相談にもって下さった看護師さんには感謝をしています。

一番、気持ちが落ち込んだのは手術が無事に終わったあとだった

闘病中唯一の写真(ケモ中でニット帽の下は髪の毛がない)

治療を開始してからも、不安はたくさんありました。抗がん剤で髪の毛が抜けることは事前に聞いていましたが、そろそろ抜け始めるのが頭皮の感覚で分かったときには、あまりの恐怖に耐えきれず、その時の1度だけ母の前で泣きました。仕事からの帰り道、ひとりで車の中で号泣したこともありますが、様々な場面で緩和ケアの看護師さんにサポートしてもらい、なんとか乗り越えることができました。
手術をめざして化学療法をがんばっていた時期は、「今回は○ミリ小さくなった」という言葉が励みになっていました。ところが、無事に手術が終わったら、自分がこれからどうやって生きていけばいいのかわからないと感じるようになりました。消灯後、大部屋の病室のみんながベッドに入ってカーテンを閉めると途端に悲しくなって周りにバレないように、眠るまでずっと泣いていました。主治医に話すと、そんなにつらいなら退院していいよと言われたので自宅に戻ったのですが、自宅では患者同士で愚痴を言いあうことも、不安で眠れない時に看護師さんに話を聞いてもらうこともできません。手術が終わったらホッとすると思っていたのに、あの時期はほんとうに辛かったです。その後、パートとして仕事に復帰して社会に出たことで、段々と気持ちが落ち着いてきました。

上司や親しい友人には話したけれど、周囲には秘密にしておきたかった

仕事復帰した日の写真(髪型はベリーショート)

放射線治療を開始する際、自宅近くの病院で受けることを勧められました。しかし、私は近所の人や知っている人が受診するかもしれないその病院で治療を受けることを断りました。放射線治療室から出てくる自分を見られ、周囲の人にがんだと知られるのは絶対に嫌だったのです。
保育士として働いていましたが、がんになったことを話したのは親しい同僚と園長先生だけです。放射線治療が終わって、もとの職場にパートとして戻るときにも、園長先生には他の人には口外しないように頼みました。重いものを持ったり、子どもを背負うことができないので、そういった場面での配慮をお願いしていたので、皆さんわかっていたかもしれません。でも、どうしても自分ががんになったことは隠したかったのです。

若年性乳がんサポートコミュニティ「Pink Ring」は探していた最後のピース

がんの告知を受けるという体験は、29歳まで仕事も私生活もそれなりに楽しみながら生きて組み上げてきた自分の人生というパズルを一瞬にしてバラバラにされるような感じでした。不安しかない状況から力になってくれる看護師さんというピースを見つけて、抗がん剤で髪が抜けると聞いてショックを受けたけれどウィッグというピースを見つけて、治療も効果がみえて、職場にも復帰して、少しずつ新しいパズルができていったのですが何かが足りない気がしていました。悩む私に、看護師さんが「患者会に行ってみたら?」とアドバイスしてくれましたが、行った患者会には同世代の人は少ししかいませんでした。
そんな時にインターネットで若年性乳がんサポートコミュニティ「Pink Ring」の存在を知ったのです。Pink Ringのホームページには、20代30代の女性たちが罹患年齢を書いたボードを持って微笑んでいる写真が載っていました。私と同じ「29」を持つ人が2人も!
ここにたくさんの仲間がいると思ったら居ても立っても居られなくてすぐに連絡をとり、都内で開催されたイベントに参加しました。会場の扉を開け、30~40人が座っている背中が見えた時の感動は忘れられません。「みんな同世代のがんサバイバーなの?こんなにいたの?」って。探していた最後のピースが私の人生のパズルにピタッとはまった瞬間でした。
Pink Ringのイベントで驚いたのは、大勢の人の前で「私は〇歳のときに皆さんと同じ乳がんになって…」と話している代表の姿でした。眩しいくらいにキラキラしている代表やメンバーを見て、みんなの前で乳がんになったことを言っても大丈夫なんだって思いました。
そこで、園長先生にお願いして職員会議で話をする機会をもらいました。乳がんで治療していたこと、後遺症や通院があるのでサポートが必要なことを話しました。そして、若くてもがんになることを啓発したいと思っていることも話しました。そのために、29歳でがんになった同僚、つまり私のことを家族や友だちとのあいだで話題にして欲しいと伝えることができました。大勢の前で自分が乳がんだったことを話したのは初めてだったのですが、同僚の反応をみると、世の中の人たちもこんな風に優しく穏やかに受け止めてくれるのかな、という安心感を覚えました。

Pink Ring 東北branchを東北の仲間のよりどころにしたい

Pink Ring東北branchのブースの写真

Pink Ringの活動は都内が中心でした。何度か都内のイベントに参加し、私以外にも東北で孤独な想いをしている患者さんが気軽に集まれる場所が欲しいと感じるようになりました。Pink Ring事務局にその気持ちを話すと、全国にPink Ringの仲間の輪を広げたいと想っていることを知りました。地元の患者団体の方、医療者の方などが応援してくださり、2017年9月に「Pink Ring東北branch」をスタートすることができました。
がんになり、仕事を休むことになったとき、私が残した仕事を全て抱えてくれた同僚は、申し訳ないと謝る私に「謝る必要はないからしっかり治療して元気に戻ってきて。その時、私は転勤してここにいないかもしれないけれど、次に助けを必要とする仲間を助けてあげてね」と言いました。この恩送り(pay forward)という考えが、私が今、若い人への啓発や患者支援団体の活動に取り組む原動力になっています。

Pink Ring東北branchでイべント開会挨拶時の写真

東北branchは活動を始めたばかりです。これから、仲間の輪を広げていくのが目標です。東北って広いですが、そこで暮らす若年乳がんの患者さんのだれもが、「ひとりじゃない、仲間がいる」ということと、Pink Ringのスローガンである「明日のあなたは何でもできる」ということを実感できる未来を願い続けます。

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  • 監修:国立がん研究センター中央病院 清水 研 先生