自らの気持ちや体験を「書いて発信すること」によって周囲の支えを実感。前を向いて治療を受けることができた

花木裕介さん

花木裕介さん(39歳)千葉県
発症・告知 38歳/中咽頭がん

取材日(2019年1月25日)※年齢・地域は取材当時のものです。

仕事もプライベートも全力投球していた日々に突然のがん宣告

花木裕介さんのインタビュー時の写真

私ががんの告知を受けたのは38歳のとき。家庭では、父親として7歳と4歳の子どもの成長を楽しみにしていました。仕事では、チームをまとめる立場として日々の残業も精力的にこなし、5年後、10年後のキャリアプランを立てていました。
社内用メールマガジンの編集長をしたり、執筆活動をしたりと「書く仕事」に携わっていたことを活かして、東日本大震災以降は復興支援のためにボランティアで情報発信もしていました。
仕事もプライべートも充実した毎日を過ごしていた中で、ある日ふと、ほおづえをついたときに首が腫れていることを感じたのです。最初は「風邪をひいて扁桃腺が腫れているんだろう」という軽い気持ちで近所の耳鼻科を受診したのですが、薬を飲んでも一向に腫れが引かず、さすがに少し不安になったので1ヵ月後に紹介状を持って総合病院を受診しました。詳しい検査を受けて、1週間後に「咽頭がん」と告知されました。しかも、すでに首のリンパ節に転移していて、ステージⅣの状態。首の腫れはそのせいだったのです。最初にできたのどのがんは診断されるまで全く気づかなかったので、まさに「青天の霹靂」という感じでした。

周囲の支えを実感できたのは、ブログで情報を発信し続けたから

ステージⅣという状態はショックでしたが、「治る見込みはある」と言われ、抗がん剤と放射線による治療を受けることになりました。会社にも「とにかく治療を優先しなさい」と理解してもらえて、休職することに。そのとき、「これまで多くの情報発信をしてきたのに、自分が病気になったことを隠していていいのか」と思ったのです。そこで妻に、「がんになった事実をまだ受け入れきれないけど、治療を頑張るためにも病気のことをみんなに伝えたい。どう思う?」と聞いたところ、「それが治療を受ける上でのモチベーションになるなら全面的に応援する」と言ってくれました。そこで、休職前に、編集長をしていた社内用メールマガジンで病気のことを職場に公表し、個人でブログも開設。治療をしながらブログで自分の気持ちや治療の様子を発信し続けました。
治療はつらく、当初3ヵ月間の予定で申請した休職期間は9ヵ月間に及びました。副作用でだるさや口の中の痛みがひどくて話もできず、食事もとれない状態で、家族が見舞いにきても笑顔すら見せられないこともありました。
でも、ブログがあったおかげで、入院中でも周囲とつながっている安心感があり、心細さは感じなかったです。実際には会えないけど、友人や職場の同僚など、多くの人たちに支えられていると思えました。

「治療が終わり復職できればすべて元通り」ではない

幸いにも治療の効果が得られ、がんは消滅。職場に復帰することもできました。でも、9ヵ月間も休み、復帰後は負担の少ない部署に異動になったこともあり、新入社員に逆戻りしたような気持ちでした。周囲から見れば、「治療が終わり復職もできた。バンザイ!」という状況で、それは確かにうれしかったのですが、決して「元通り」ではなく、以前の自分とのギャップを感じることも多かったです。
周囲は「無理するな」と気を遣ってくれるので、以前のように100%頑張ることができず、バリバリ働く人がうらやましく、自分に自信が持てない状態が続きました。また、経過観察として3ヵ月に一度の検査が必要で、そのたびに「再発したら」とドキドキします。そういう不安が少なくとも5年はつきまとうのです。5年先のことなどイメージできず、仕事でも3ヵ月より先の予定は立てられないし、責任も持てない。それが最初はしんどかったですが、だんだんと「とにかく目の前のことを精いっぱいやるしかない」と割り切れるようになりました。

会社の制度や家族のサポートに支えられて乗り超えた治療

花木裕介さんが執筆した書籍の表紙

勤務していたのが医療関連サービスを提供する会社だったせいか、制度は充実していました。治療と仕事の「両立支援サービス」として、有給休暇とは別に治療休暇がとれたことや、無料でセカンドオピニオンが受けられたのは、とても助かりました。
また、無料でカウンセリングを受けられる制度も利用しました。がんになると、体の心配だけでなく、「仕事は続けられるのか」「今後の家族との接し方はどうしたらいいのか」などさまざまな悩みが出てきます。「家族や友人に相談すればいいじゃない」と言われますが、心配をかけるのがつらく、身近な人にこそ言いにくいこともあるので、話を聞いてもらえる第三者の存在は大きかったです。
けれどもやはり、家族には助けられました。病気を公表することを妻に賛成してもらえたのは、治療に臨む大きな力になりました。また、がんになった体験を息子たちへの手紙形式でまとめた本を出版しました。息子たちに、直接、病気のことを詳しく話したことはありませんでしたが、子ども心にも父親が治療で苦しんでいることはわかっていたようで、当時を思い出したのか、長男は泣きながらも「最後まで読む」と言ってくれました。書くことで伝わるコミュニケーションもあるのだと思いました。

「がんになった自分だからできること」をライフワークに

これからの生活を考えたとき、2つの楽しみがあります。1つは、子どもの成長です。がんになる前は、成長した姿を見られることが当たり前だと思っていましたが、今は、そうとは限らないことがわかっています。だからこそ、一緒に遊んだり勉強したり、ともに過ごせる瞬間を、思い切り楽しみたいと思っています。
もう1つは、病気になった自分だからこそ伝えられることを発信したいということ。がんになり、以前のようにできなくなったこともありますが、逆に今の自分にしかできない役目もあると思うのです。子どものいるがん患者のコミュニティ「キャンサーペアレンツ」に参加したのもそういう思いからでした。病気を受け入れて生きていく自分が情報発信することで、これからどれだけの社会貢献ができるか。今はそれが楽しみです。

  • 監修:国立がん研究センター中央病院 清水 研 先生