生きていることに楽しみを感じる毎日。若くしてがんになった経験を社会のために活かしたい
桑原 慎太郎さん(27歳)島根県
発症22歳/脳腫瘍
取材日(2022年9月12日)※年齢・地域は取材当時のものです。
診断で、1年半続いた苦しみから解放された
不調を自覚したのは、2016年の4月でした。異常なのどの渇きや倦怠感があり、いくつかの開業医や総合病院で検査をしましたが、原因は特定されませんでした。自分でも20代で大きな病気になることは考えていませんでしたので、体の病気でないのであれば心の問題だと思い込み、心療内科に1年半通院していました。
心療内科では自律神経失調症と診断されましたが、処方される薬で症状が改善することはなく、2017年の夏ごろから頻繁に頭痛が起こるようになりました。そして、11月に声をあげてしまうほどの激しい頭痛で救急搬送され、検査の結果、「脳腫瘍」であることがわかりました。両親と一緒に医師から病名を告げられた時は、「まさかこんなに若いのにがんになるなんて」という思いで頭の中が真っ白になりました。
先生の話を自分事として聞くことができずに、まるで医療ドラマを見ているみたいでした。
診断された日に入院となり、その後は、どんどん進む治療計画の流れに身を任せていました。がん治療を受けていくたびに、この1年半が嘘のように症状が治まり、苦しみから解放されました。体が元気になることで心も元気になり、前向きになりました。
無理せず、自分と向き合い、本当に会いたい人と会う時間が大切
仕事は、入院前の5ヵ月、入院生活の5ヵ月と退院後1ヵ月の半年間、計1年ほど休職しました。長い入院生活により階段を上るだけで疲れる状態だったので、復職後の体力面が心配でした。入院前の体調不良が現れた際には3交代制の立ち仕事だったところを、日勤の座ってできる仕事に配置転換してもらうなど、会社の支援体制が整備されていてありがたかったです。同僚からの理解があり、職場も普通に受け入れてくれたのでスムーズに復職することができました。
入院前後で最も変わったのは、時間の使い方です。以前はちょっと無理をしてでも友達と遊ぶことがありました。でも、がんを経験していない人とはわかりあえない、共感しあえない部分がどうしてもあって、自然と友だちつきあいは減っていきました。今は、自分で過ごす時間を大切にするようになりました。退院して年月が経って、再発への不安が頭をよぎることもありますが、だからこそ、自分自身と向き合って将来や人生について考えたり、本当に会いたい人と会ったりしています。一日一日を大切に生きている今の方が充実していますね。
脳腫瘍ならではの悩みにも対応
脳腫瘍は後遺症で難病になるケースもあり、一生涯飲み続けなければならない薬や通院にかかる費用が経済的な負担として不安になるときもあります。私も後遺症のため1日5回服薬しているのですが、退院後しばらくは、食事と服薬のタイミングの調整や、一緒に遊んでいる友人に気づかれないように服薬するなど負担感がありました。ただそのことにも徐々に慣れ、今は日常生活に制限を感じることはほとんどありません。
また、開頭手術をしていると髪を切ったあとに傷口が見えないか気になることがあります。手術した部分を他人に触られるとちょっと不快に感じるときもあるので、いつも美容院では優しく触ってもらうよう配慮をお願いしています。
AYA世代の患者さんとの出会いで、患者会の立ち上げを決意
入院中や退院後にAYA世代の患者さんと会ったり、話したりする機会がなく、ずっとAYA世代のがん患者さんと話したいと思っていました。その思いが膨らんで「どうしても、会いたい」と思い立ち、若年性がん患者団体「STAND UP!! 」の交流会イベントに参加するために東京に向かいました。初めて同世代のがんの方と会い、患者同士で話をして、とても心が軽くなりました。患者会でアクティブに活動する人たちに元気をもらって、自分もがんばろうと思いました。
島根県には700人以上の若年性のがん患者さんがいますが、患者同士が交流する場がありません。大学病院のがん相談支援センターとの共催で交流会を開催していたのですが、当事者だけで話してみたいという気持ちが強くなりました。そこで、2022年4月、島根県と鳥取県の若年性がんの患者さんが集まれる患者会「AYAむすび 山陰若年性がん患者会」の活動を始めました。
地元の人が集まって、気楽になごやかに話ができる場を作って、「自分ひとりじゃない」と伝えたいです。周囲に相談すると悩みや不安が軽くなると思いますし、心が楽になります。また、自分が初めて患者会に参加した時に、最初の一歩を踏み出す勇気をもらったように、この交流で患者さんが何かできることを一緒に探したいし、それを見つけてほしいと思っています。
22歳でがんになった経験を社会のために活かしたい
子どもたちのためになるならと、島根県のがん教育外部講師に登録していて、これまでに小学校や高校で話をしました。子どもたちは、まず「22歳でがんになった」ことに驚きますが、「がんは大病だけれど、がんになったからって人生が終わるわけではない」と、実際に元気に生きている私が伝えることで、命の大切さなどを考えてくれます。2人に1人ががんになる時代、誰もががんに関わる可能性がある中で、子どもたちのがんに対する意識が変わり、がんになっても生きやすい社会につながっていけばうれしいです。
これからも、自分の「若くしてがんになった経験」を積極的に発信して、社会のために活かしていきたいです。がん教育でも子どもたちに向けて話していきたいですし、患者さんとも、もっとつながりたいですね。
- 監修:がん研有明病院 腫瘍精神科 部長 清水 研 先生
2024年2月更新