AYA座談会

死にたくて生きたい…がんになって感じたこと

(座談会開催日:2020年10月19日)

清水AYA世代の多くの人は、健康は当たり前だと思っていたのではないでしょうか。みなさんは、がんになっていろいろな困難と向き合って、人生が様変わりされたと思います。ご自分にとって、がんになるというのはどのような体験だったのでしょうか。

鈴木僕は、がんになって “人とは異なる人生”を歩むことになりました。自分が、がんにならなかった世界を見てみたいと思うけれど、がんになってしまったからしょうがない、そう思って全力を尽くして生きてきました。決していい体験ではないし、経験したくはありませんでしたが、自分の人格形成に大きく影響したのは確かです。中学校の時、運動会や修学旅行などの楽しい行事に参加できず、フラストレーションがたまってしまって、母に当たったことがありました。そうしたら母が泣いてしまったんです。中学3年生くらいの時期に、人に当たっても何も生まれない、人に当たることは無意味だと感じました。そう気づいたという意味では、大人になったのだと思います。

清水その後、白血病、舌がんになってしまった時はどのように感じましたか?

鈴木さん顔写真

IT企業で元気に仕事をしています。(鈴木さん)

鈴木白血病は、兆候がありなんとなく予期していたのと、治療すれば治ると確信があったので受け止めることができました。舌がんは、がんそのものよりも後遺症が心配でした。実際に話せるかどうか、仕事を続けられるか。そういう不安がすごくありました。会社からは気にせず治療を続けるように言ってもらったので、おかげで治療に集中できました。今も難しい発音はありますが、特に不自由なく生活しています。

清水「なぜ、俺だけ?」と感じるなど、ネガティブな気持ちはどうやって抑えたのでしょう?

鈴木かなり理不尽には感じましたよ、なんでなんだ?って。でも、誰のせいでもないし、周りに当たっても何も生まれないという考えです。自分の気持ちがわかるのは自分だけだと思うんです。だから、しょうがないかなと受け止めています。

本を手にする三井さんの写真

清水先生の本にはたくさんの付箋がついています。(三井さん)

三井私も鈴木さんと同じで、病気になってよかったことは1つもなかった、ならなければよかったと今も思っています。でも、なんとなく続いていくと思っていた人生が、実は無限じゃなくて有限だったということに気がついたのは、がんになった大きな収穫だったと思っています。例えば、教員の仕事で考えると、生徒との関わり方が変わりました。学校では、1年経つとまた新しい生徒が入ってきて、1年間つきあっていくわけです。その生徒にとっての1年は一生に1度しかない1年で、なんとなく3年間続くわけではない。1年1年を大切にしないといけないと気づきました。

清水がんを体験された方は、自分の時間も、他の人の時間もすごく大切にされていますね。

三井プライベートな部分では、いつかやろうと思っていたことの「いつか」は来ないかも知れないと気がつきました。実は、結婚式で和装をしなかったことをずっと後悔していたのですが、いよいよ2週間後に主人と和装でロケーションフォトを撮ることになりました。病気にならなければ、「いつか和装の婚礼写真を撮りたいな」で結局、撮らないままでいたかもしれません。

清水「いつかを今にする」というのは、がんにならなかったら難しかったのでしょうか?

三井「いつか」を「今」にする。がんを体験しなくてもわかれば一番いいのですが、死の淵に立たなかったら私は気づけなかったと思います。きっと人生はこのまま三食食べて寝て過ごしていけば70歳、80歳まで続くと、無限に続くと思っていました。「もしかしたら明日死ぬかもしれないよ」って言われるような病気にでもならなければ、私は気づけなかったと思います。

清水今は、ウィッグで生活されているということですが。

三井私は小さなころから髪の毛が綺麗だねって褒められることがあり、それが自慢でした。よりによって髪の毛がなくなるがんになってしまったので、それはすごく切なくて、悲しくて、今でも悔しいです。でも「ウィッグだったら色々できるぞ」と思って、1カ月間日替わりでかぶれるぐらい色々なウィッグを持っています(笑)。なくなってしまったことを悔やむことも多かったのですが、今あるものでできることをたくさん見つけるようにしています。がんになってからそういう変化がたくさんあったなと思います。

清水ご自身の大切な髪の毛を失って、苦しい時間があったのではないですか?

三井髪の毛が手術でなくなってから1カ月間はすごく落ち込みました。でも、1カ月たって移植した皮膚が生着してからは、ウィッグがかぶれるようになったので、元気になりました。1カ月間は前向きになるのがすごく難しかったけれど、わりとそれで何とかなりました。病院の先生には、早い方だねって言われました。

チャット

井上受け入れるしかないことを経験すると、価値観が変わって逆に生きやすくなりますよね

小磯素敵です!!

四家受け入れる、素敵です

鈴木本当にそう思います。そこから自分で何ができるかを考えることが大事ですよね

井上ですね!

岸田「逆に生きやすくなる」名言ですね。ほんと。

清水結婚式での和装写真、よかったら見せていただきたいです。

三井さんの和装写真

『いつか』を『今』にして本当に良かったです。幸せな時も辛い時も、いつも私に寄り添ってくれる主人の存在の大きさに改めて気付かされました。(三井さん)


清水小磯さんは病気になられてどのように感じましたか?

小磯私の場合は、24歳で最初にがんを告知された時と27歳で再発を告知された時の気持ちが違っていました。24歳の時は周りの友達もまだ独身が多くて、患者会にも入らずに自分の力で乗り越えられました。治療費を自分で稼ぐために仕事に早く戻るという目標もありました。だから、大きな手術をして命をとる、生きるという選択をしました。子どもが産めなくなったことはずっと心残りで恋愛にも臆病になっていましたが、なんとなく生きていけました。周りも独身の女の子がいて、孤独を感じなかったのが良かったのです。

清水27歳の時は違いましたか?

小磯そうですね。27歳になると周囲の友達が結婚のための準備をしたり、仕事をしている子はだんだんスキルを身に付けてやりがいをもつようになったりしている姿を見た時に、自分だけ置いていかれたと感じるようになりました。

チャット

四家「おいてかれた・・・」なんかわかります

井上すごくわかります

不謹慎ですが、再発がわかった時に「よかった」と思った自分がいました。24歳でがんになって子どもを産めない人生をこの先何十年も、女性として辛い気持ちと一緒に生きていくことを考えたら、綺麗に人生が終わってしまったほうがいいと思ってしまった自分がいたんですね。ありがたいことに治療の経過が良くて生かされていく私を周りはすごく喜んでくれるのに、私の心だけがどうしても置いてけぼりになってしまいました。

小磯さん写真

その頃、1回死にたいなって、死を意識しました。生き方がわからなくなってしまいました。自分は何がしたくて、これからどのように人生を歩んでいくのか、30歳を前にして無職で、病気の治療をするだけの2年間に何をやっていたのかって社会の人から言われることも恐怖で、現実と向き合えませんでした。だから、再発してよかったって思ってしまいました。

でも、「再発してよかった」なんて家族に言えませんでした。「死にたい」って言えない自分が苦しくて、心を閉ざしてしまいました。それで生きるために必要なことはしない。変な頑固さがあって、お風呂に入らない、お母さんがつくった食事は食べない、トイレ以外は何もしない、人間じゃないような生活をしていました。

チャット

三井再発してよかった、ってわかる!!苦しい人生送らずに死ねるって、私もふと思いました

岸田僕は、社会復帰してから、適応できずに「死にたい」って思ったことあったなぁ・・・。

三井みんな死にたくて生きたいですね^^

井上ほんとにそうですね。私も死んでもいいから治療やめたいって思ってました

清水20代の女性にとって、子宮摘出は本当に辛いことだったんですね。

小磯3カ月くらい人間じゃないような生活をしていたら、本当に何なんでしょうかね、なんだかわからなくなっていました。ちょうどその頃、母の誕生日が来ても「おめでとう」が言えなくて・・。それがとても辛かったんです。

清水お母さんにお誕生日おめでとうと言えなかったのはどんな気持ちだったんですか?

小磯小学生の時に橋本病で長期間通院していたのですが、「お母さんは健康なのに、あなたにばかり病気をさせてごめんね」と母が口癖のように言っていたんです。私はお母さんに苦しい思いばかりをさせている。だから、せめてお誕生日には感謝の言葉を言いたい。そう思って、お母さんのお誕生日には毎年、「おめでとう」を言っていました。でも、当時の私は、思いを伝えるチャンスだとわかっていても、何も言えませんでした。精神的に不安定でどうしても声に出して伝えることができませんでした。それでも気持ちを吐き出したくて、今思うと恥ずかしいですが、シーツにボールペンで「おめでとう」と書いていました。

チャット

三井私も橋本病です。病気だらけの人生で、落ち込むことたくさんありました。でもいま、元気です。

鈴木両親には本当に感謝しかないですよね これから全力で親孝行したいと思ってます

小磯三井さんも橋本病なのですね。病気と離れられないけど、私も元気です。

三井笑顔アイコン笑顔アイコン

小磯親孝行!!私もこれから頑張ります。

  • 監修:がん研有明病院 腫瘍精神科 部長 清水 研 先生

2024年2月更新