AYA座談会
治療を終え寛解しても、終わらないこと
(座談会開催日:2022年10月13日)
清水みなさん治療を終えられていますが、治療は順調でしたか?
再手術は積み重ねてきたものが一気に崩れる感覚(岡野さん)
岡野私の場合は、抗がん剤治療を3カ月してから、左膝関節の腫瘍切除と、人工関節に換える手術を行いました。幸いにも、腫瘍の広がりや転移がなかったので、予定通り人工関節に換えることができました。ここからさらに半年間は抗がん剤治療を受けながらリハビリをするのですが、リハビリが始まって1カ月後ぐらいに人工関節が菌に感染してしまい、もう一度、人工関節を換える再手術が必要になりました。しんどい入院生活を送ってきましたが、一応回復には向かっていて、手術が終わってこれからリハビリをやって、ようやく治療が終わる、歩けるようになるという矢先の再手術でした。再手術が決まった時、人生で初めて両親に泣きつきましたね。やっとここまで来たのに、また手術の時に戻らなくちゃいけないのかって。これまでの治療経験があるだけに、もう一度あの治療生活をやっていけるのかという大きな不安がありました。
ここまで順調に、予定通りに進んできて、自分の中で積み重ねてきたものが一気に崩れたような感覚になってしまいました。
清水上村さんは寛解から5年ということですが、いかがでしょうか。
上村6コース受けた直後に寛解宣告を受けました。6コースの2日目の点滴が終わった時の解放感はものすごかったです。「うわ、僕生きてるよ、今日も!」と思いました。ただ、その1年後に、また首にしこりができて、再発かもしれないから検査をすることになりました。CT検査後に病理の先生から再発とは認められない、経過観察をしようと言われました。治療が終わった時の解放感はすごかったですが、その1年後に来た再発かもしれない宣告は、最初にがん宣告を受けた時よりも苦しいものでした。
清水再発については、今はどのような感じですか。
上村しこりは、大きさが変わらないまま今もあります。鹿児島の先生も神奈川の先生も、しこりの正体はわからないそうでリンパ節の正常な範囲内でしょうと言われています。今後、このしこりが大きくなるようなことがあったら、治療する必要があるかもしれません。爆弾というか、不安要素を抱えながらの生活です。
手術前(左)と手術後(右)の上村さん
寛解宣告を受けた後、再発かもしれないと言われて、結局大丈夫だったという経験をした今は、徐々に日常のありがたみを感じる機会が減っています。とはいえ、誕生日やがん宣告を受けた日がくると、首のしこりが気になります。どうしてもリンパ節なので、熱を出したり風邪を引いたり、ウイルス性の感染症をおこしたりすると腫れることがあるのですが、そういう時にはもしかして再発したのかもしれないと不安がよぎります。
岡嶋私の場合は、治療中より治療が終わってこれから社会に出ていかなきゃいけない時期の方がつらいと感じる時があります。今は理学療法士の資格を取る為に専門学校に通っていますが、治療の関係でその日によって体調が全然違います。でも、実習は行かないといけないので、なかなかうまくいかない、でもやらなきゃいけないっていう中で、すごく苦しい時があります。
治療ももちろん苦しくてつらかったけど、これから働いて社会に出ていかなきゃいけない今の方が、別のつらさがあります。見た目じゃわからないような病気なので、周りがわかってくれないこともつらいですし、身体的にも大変だなと思いながら過ごしています。
清水岡嶋さんの感覚としては、今、大きな不安を抱えていらっしゃる感じでしょうか?
岡嶋入院中は、ご飯は出てくるし、布団は温かく、環境も快適。そういう中で生活していました。退院したら、急に「社会復帰」というワードを突き付けられた気がして、きつかったです。これから社会復帰しなきゃという気持ちにはなりましたが、なかなか気持ちと体がうまく釣り合わない状態です。そうなると精神的につらくなってきて、「なんで僕だけ?」という気持ちが出てきてしまいます。
清水気持ちはがんばらなきゃ、でも体はどんな風についてきてくれない感覚なんですか?
岡嶋晩期合併症のうちの一つと言われていて、体がだるくなってすぐ疲れる、気力がなくなって何もしたくなくなるという感じです。体がそうなると、病気になる前にできていたことができなくなって、なんでできないんだろうと今度は心がネガティブなことばっかり考えてしまう時期がありました。
時には両親に気持ちをぶつけることも(岡嶋さん)
先天性の病気なので誰が悪いわけでもなく、この怒り、モヤモヤ、悲しみの全てを誰かにぶつけたくなりました。でも誰も悪くないんです。みんな元気で楽しそうに学校生活を送っているのに、「なんで僕だけ・・・」みたいな気持ちがすごく湧いてきました。
清水そういう時は、どうされるんですか?
岡嶋両親に気持ちをぶつけることで少し落ち着いたり、時間が解決してくれたりします。
清水ご両親と岡嶋さんの間には温かい関係がありますね。
加茂私は、国立がん研究センター中央病院の小児病棟に入院していました。がんセンターは20歳くらいまでの人は一緒に治療しようという方針で、同い年くらいの人や子どもたちとみんなで一緒に治療をしていました。治療中はとにかく楽しくて、毎日が修学旅行の夜みたいな感じでした。朝からずっとトランプやったり、ウノやったり、みんなでWiiやったり。治療は意外と苦ではなかったですが、術後管理のために大人の病棟に移された時は、つまらなさ過ぎてショックで泣きました。そのくらい、友達がいないのが悲しかったです。つらい治療を受けていても、同じような年齢の、同じようながんの子たちがいて、病棟の中でもこの治療はつらいとか、あの医者はダメだとか、あの看護師は優しいとか、そういう愚痴とかを言い合えるような人間関係があったので、すごくいい環境だったと思います。
私の場合、入院治療が終わってしばらくしてから、精神的にすごく落ち込みました。退院して予備校に通い始めましたが、体調がすぐれず、後遺症もひどい状態でした。特に胃を切除した影響でトイレが近かったり、おならやげっぷとかが出やすかったり、ご飯もあまり食べられなかったり。そのため予備校に通うのが大きなストレスで、予備校の建物に一歩入った途端に謎の震えが止まらないということもありました。入院中に一番仲が良かった子が亡くなってちょうど半年くらい経ったころは、メンタルがボロボロでした。本当にベッドから起き上がれないんです。夜も眠れないまま朝7時になってしまうような毎日が続きました。それでこのままでは精神的にだめになると思い、当時の主治医に電話をして、がんセンターの精神腫瘍科の予約を取ってもらいました。そこで清水先生のお話をいろいろ聞いて、少しずつ改善していきました。
清水先生は、「Mustと思うことじゃなくてWantと思うこと、自分がやりたいことだけやればいいんじゃない?」とおっしゃいました。それで、予備校もやめて、全てそこでリセットして、本当にやりたいことだけやるという生活をしばらく続けました。 アルバイトを始めたのも、先生が「バイトでもしてみれば?」って言われたからですよ。
清水本当に?責任を感じつつもちょっと嬉しい気持ちです。島野さん、治療を終えられてどのように感じていらっしゃいますか。
島野寛解して4年になりますが、寛解した時には全く喜べませんでした。というのも、ちょうどインターネットで仲良くなった友達と同じ病院に入院中の友達が二人とも再発しているような状況で。「今週退院できる」ということをずっと言えなくて、これからまた治療を続ける友だちがいるのに自分だけ治っていいのかなという、複雑な気持ちで半年ぐらい過ごしていました。
チャット
岸田ふくざつ・・・
岡野治療終わりとか、誰もが早く治療を終えたいことがわかってるからこそ言えないですよね。
岸田わかってるから言えないってありますよね。
入院中の病棟にて(加茂さん)
加茂私にも同じようなことがありました。私の治療が終わった時に、治療中の友達から「僕はもう治療が終わった子とは会いたくない」と言われたんです。その子は再発して治療をずっとしている中、私は治療が終わって生きる望みが出てきた。だから、治療を終わった人を見るのがつらかったんだろうと思います。その子の気持ちもわかるのですが、それでも、その子に言われた時は本当につらくて。でもあえて言葉にして伝えてくれてありがたいなとも思いました。お見舞いに行きたい気持ちはありつつも、そんなこと言われたら行っていいのかと思い悩んだりしていました。結局会えないまま、その子は亡くなったのですが、会えずじまいになったことは今でも後悔しています。ただ無理やり会いに行くことが正しいのかは、今でもわかりません。ずっと心に棘として残っているエピソードです。
チャット
岸田治療が終わった子と会いたくない・・・か・・・。
岸田つらいな。。
岡嶋先に退院する人がうらやましかったなあ、、、
岡野誰もが早く治療終えたい気持ちもわかってしまうからこそですよね・・・。
岸田むずかしい。。。たしかに棘として残るよね。。。
入院中、私は先に退院する人のことを羨ましいとは思わずに、純粋におめでとうみたいな気持ちでした。それは、私がまだ治る見込みがあったからそう思えたのだなと、今だから思います。私がもう治る見込みがなくて、終末期医療に入っていたらやっぱりそういう気持ちになっていたかもしれないなと考えます。
清水島野さんも加茂さんも、自分が一緒に治療した友達が亡くなっていくことに対する申し訳なさや複雑な気持ちを話していました。生き残った罪悪感とも言われますが、二人に罪はないでしょう、と思います。
がんになっていない人は、健康で何よりだなと思います(島野さん)
島野結局自分が経験したことしかわからないと思うんです。自分自身もそうだし、もちろん周りの友達もそう。私は、手術した人の気持ちはわからないし、再発をした人の気持ちもわからない。私も、がんになっていない人は私の気持ちなんかわかってくれないって思いましたから、再発した人は再発していない人に自分の気持ちをわかってもらえないって思うんです。
ある種、みんな孤独になりたがるなと思いました。でも、全てのことを同じように経験している人はいないということに気づかされて、今は、がんになっていない人に対して、健康で何よりだなと思えるようになりました。
- 監修:がん研有明病院 腫瘍精神科 部長 清水 研 先生
2024年2月更新