AYA座談会
病気を経験した自分と歩んでいく
(座談会開催日:2022年10月13日)
岸田将来については、どう感じていますか?
加茂治療を始めたころ、入院中はものすごく不安でした。高校の友達はみんないい大学からいい就職というレールに乗っている感じで。そのレールから私だけ踏み外れたみたいな意識があって、それを不安に思ったり焦ったりしましたが、時間が経つにつれてどうでも良くなっていきましたね。もう完全に悟りました。何かきっかけがあったとかではなくて、時間の経過とともに自分の考えが変化してきたっていうことなんでしょうけど。
岸田島野さんも、学歴、勉強といったところでいろいろなプレッシャーもあった中、時間の経過とともに変化したことはありましたか。
島野がん以外にもいろいろな経験がありました。考え方や価値観を変えるのに時間というのが大きな力になったなと思います。
加茂将来に対して時間が解決してくれるものもあるっていうことを、清水先生が教えてくれました。
今になったからこそ言えるのですが、がんになってよかったって思えます(上村さん)
清水最後に、がんという体験はみなさんにとってどのようなものと感じていますか。
上村今になったからこそ言えるのですが、僕はがんになって良かったってすごく思っています。元々高校で勉強をがんばっていましたが、そんなに成績が奮いませんでした。それが、罹患後にがんになった患者の精神的なストレスについて研究したいと思って、高校の課題研究授業で取り組みました。その研究を通じてイギリスやハワイに留学する機会を得て、今の大学にも英語入試(推薦入試)で合格できました。今となっては、自分のキャリア、自分の人生においてはがんになることが必要なものだったんじゃないかと考えています。
清水今は何を専攻されているんですか?
上村今は法律を勉強して、弁護士を目指してがんばっています。
清水岡野さんにとって、ご自身の病気の体験とはどのようなものでしたか?
岡野私の場合は、良くも悪くも骨肉腫になった経験が、自分自身の人生や考え方を形成する一つのすごく大きな核になっていて、この経験があったから今の自分があるというのは間違っていません。でも、私の場合はこの経験をして良かったとは、全く思いません。こんな経験は絶対しないほうが良いって思っています。
それでも、自分の人生を考える時に、入院生活の経験をちょっと忘れて別のことをやってみようとはなりませんでした。ですので、この経験を糧に自分自身の人生を作っていこうと意識が変わりましたね。病気になる前は全く興味がなかった抗がん剤や薬全般について勉強したいと思って、急きょでしたが大学では薬学部に進学しました。大学生活を終えて就職する時も、あの時の経験を踏まえて自分自身ができる範囲で医薬品開発にアプローチできる仕事を目指しました。新しい薬の開発に携わることができたら、あの時の経験が良くも悪くもつながるような、それが自分自身にとって大きなやりがいになるかもしれないと思いました。それで今、医薬品開発に携わる会社で仕事をしています。大きく言えば自分自身の生き方の選択の際に、一番の根幹にあるのが、骨肉腫になった経験です。
清水がんを治療するということの大切さや意義を、身をもって知っているからこそ、そこに情熱を注げるということなのでしょうか。
仕事の息抜きにお酒を呑みに行ったりします(岡野さん)
岡野自分の人生で骨肉腫になった経験以上に、突飛で衝撃的な経験はないです。なので、この経験を考えないようにしたり、生きる上でこれを自分自身の軸としないというのは、性格的にも無理だと思いましたね。それであれば、病気の経験ととことん向き合うことになっても、この想いをベースに生きる道を進んでいこうと決めました。
志望した業界の会社では、医薬品開発の治験分野で使うシステム開発の担当部署に配属されました。薬関係ではありますが、システム関係の知識はありませんでしたので、入社後はひたすらシステムの勉強をして、今に至ります。
岸田やりがいは感じられていますか?
岡野医薬品開発は、最初に薬の基となる物質が見つかってから、実際に薬として世の中に出るまでに十何年かかったり、何百億というお金が動いたりする大きな世界です。誰かがこの薬で助かるかもしれない、この薬が世の中に出れば誰かが助かることにつながるかもしれない。そういう医薬品開発という流れの中の一端、一個の歯車に自分がなっているという意識は、仕事をする上でとても大切にしています。
岸田今の話、製薬業界の全社員に聞いてもらいたいですね。
清水がんは人生を脅かす病気だと医療者は言ったりしますが、がんだとわかったことは、島野さんにとってどんな意味がありましたか?
島野なんというか、最終的には“なくてはならないもの”になったな、結果的にそうなったなっていう感じです。治療はつらく、地獄でしたから、そんな地獄には二度と行きたくないのですが、これからの人生を生きるためにその意味を見つける、これからまた見つけていく、伏線回収みたいな感じです。
チャット
岸田意味を見つける。
岡野人生の伏線が張られてるって考え方、凄い刺さりました!
岸田ですね。そして、これから、それを回収していくんだって、素敵ですね!
4年が経過して、ようやく痛みが落ち着き、海外に行ってきました(島野さん)
島野今は、大学受験勉強どころではなくなって、自分でできることはやろうと、いろいろ葛藤中です。
清水今は、社会と自分と会話をしている、そういうような感じでしょうか。
島野周りと同じように学生や正社員になれない自分を受容できた気がします。最近はやっと体調が良くなってきて、アルバイトや契約社員で働いています。
岸田今振り返って、医療者への要望はありますか。この記事をご覧になった医療者の方の参考になったらいいなと思いまして。どうでしょう?
島野まずは感謝があります。対立したりもしましたが、感謝しています。ただ副作用の少ない薬を出してもらえたらもう少し楽に治療ができたのではないかとは今も思っていて、医療者の方には患者の未熟さを少しでも汲み取ってほしいです。一方で、10代後半はほぼ大人として扱ってほしいとも思います。
清水ほんとですね。医療者は良かれと思って指示してしまうけど、ひとりの大人として接してほしいという気持ちは当然ですよね。岡嶋さんは、どのような経緯で理学療法士を目指されたのですか?
理学療法士の実習中(岡嶋さん)
岡嶋つらい治療を続ける中で、唯一の楽しみが体を動かすリハビリの時間でした。セラピストの方と話すことですごく勇気づけられたり、元気をもらえたりして。そもそも高専を選んだのは、特別工業が好きだからではなく、将来の夢もなく就職率がいいからという理由だったんです。病気になって、人生で初めてなりたい仕事、なりたい職業が自分の中に芽生えました。それが、理学療法士。今、専門学校で勉強していますが、実習に行かなければいけない時期で、体調との折り合いが大変で不安が大きくなっています。将来は入院していた埼玉の病院で理学療法士として働くことが、いつか叶えたい夢です。
チャット
岡野自分と深く向き合う、人生の時間になったんですね。
島野素敵です!
岸田ぜひ、埼玉で!
岡野人生最大の伏線回収になりますね!
清水親世代の私としては、本当にみなさんの夢が叶うことを心から願っています。
岸田入院していた病院に理学療法士になって戻ってくる。最大の人生伏線回収ですね。
清水伏線回収、キーワードね。
岡野本当に岡嶋さんのそれが伏線回収。これ以上の人生におけるターニングポイントはないですよね。まさに人生を形成する中のすごい大きな話なのかなって、お話を聞いて思いました。
岸田最後に、がんに罹患した当時の自分にどういう言葉を投げかけますか。
上村「5年後、お前めっちゃハッピーだぞ!」と言いたいです。2017年の誕生日の時と今日を比べるとめちゃめちゃ幸せかなと思っています。
岡野「生きることってめちゃめちゃこわいことだぞ、それを今の段階で自覚しとけ」という感じです。多分当時の自分は生きるとか死ぬとかきちんと考えずに、なんとなく死ぬことはこわいなって思っていました。でも、「下手するとそれ以上に生きることはめちゃめちゃこわいし、つらいことも起きるぞ」と言っておきたいです。
島野私は、「つらいけどその分希望がある」っていうところですかね。
岡嶋「無理はしちゃダメだよ」って伝えたいです。
旅行先のひとこま(加茂さん)
加茂私は、「失っていくものよりも、得るものに目を向けて」と言いたいです。失っていくものは、信じられないほどたくさんある。例えば亡くなった友人の例ですと、その子が亡くなったっていう経験ばかりに目を囚われるんじゃなくて、その子と出会えた、その大切さに気付いて、そこに目を向けていく方が人生ハッピーになるかなと思います。
岸田私の場合は、「つらいと今しか見えなくなるけど、治療を終えていろんな経験をすることもあるから、治療の先、その先を見て俯瞰して気持ちを落ち着けろよ」と。今思えば、落ち込んだ時に、なんでこんなにつらい思いをしなくてはいけないんだ、としか思えませんでしたが、もう少し俯瞰してみたら、そういうつらさが和らいだのかなと。なので、その言葉を送りたいなと思います。
清水今日は本当にみなさんの素晴らしいお話を聞かせていただいて、ありがとうございました。
- 監修:がん研有明病院 腫瘍精神科 部長 清水 研 先生
2024年2月更新