がんの経験を生かして行動することで、新たな自分の価値を見出していきたい

岡部 憲治さん

岡部 憲治さん(37歳)兵庫県
発症・告知 34歳/舌がん

取材日(2019年6月19日)※年齢・地域は取材当時のものです。

「舌の3分の2以上を切除」と告げられ、絶望感に襲われた

岡部 憲治さんのインタビュー時の写真

右側の歯が何となく痛い、食ベ物がしみるといった症状が気になって歯科医院を受診したのは、2016年の春でした。何度かレーザー治療を受けたものの症状は改善せず、それでも「左側でかめば食事もできるし、生活に支障はないから」と特に気にならなかったです。通院も辞めてしまったのですが、夏になると発音が不明瞭になってきて、再度歯科医院を受診。「異常はないけれど、気になるなら大きな病院を紹介しますよ」と言われて、総合病院の口腔外科へ行きました。

口腔外科の診察では口内炎だろうと言われたのですが、数日後にCT検査の結果を聞きに行くと、「耳鼻咽喉科に行ってください」とのこと。急に不安になり、待ち時間に「口内炎 治らない」をキーワードにネット検索すると、「舌がん」という言葉が目に飛び込んできました。「まさか」と思ったのですが、診察室に入ると先生の第一声が「今日はお一人ですか」だったので、嫌な予感が的中したなと確信しました。先生から、「舌の組織を採取して検査しなければ断言できませんが、かなりの確率で舌がんです」と告げられたときは「ああ、やっぱりか」という感じだったのですが、かなり進行していて、舌の3分の2以上を切除し、切除部分にはおなかか足の筋肉を移植、首のリンパ節も手術で取り除くという治療を提案され、「そんなに大変な状況なのか」と絶望感に襲われました。

「絶対に切除したくない」。強い気持ちで納得できる治療法を模索

ネットで調べると、舌の半分以上を切除する舌亜全摘出術は10時間以上かかる大手術で、術後はかなり激しい痛みが何週間も続く、痛みが取れても食事や会話ができるようになるまでに長期間のリハビリが必要、流動食がずっと続く可能性もあるといったネガティブな内容が多く、「これはヤバいな」と感じました。がんそのものよりも、舌を切除した後の生活への絶望感が大きくて、涙もこぼれたと記憶しています。
切除以外の方法はないのかと思いさらに調べていくと、切除せず放射線療法と化学療法の併用で治療する方法があることがわかりました。また、舌がんではないのですが舌下腺のがんでこの治療を選択したがん経験者(サバイバー)のブログに、「術後の生活の質を維持するために、特に若い患者には切除しない方法を提唱している先生がいる」と書かれているのを読み、この先生が勤務していた、舌がんで切除をしない治療で実績のある東北の病院に連絡して2度目のセカンドオピニオンを受けることになりました。

実は、別の病院で最初のセカンドオピニオンを受けた際に、「切除しか選択肢はない」、「術後の生活の心配より、まず命でしょ」と言われていたんです。その言葉に傷つき、家族からも「早く切って欲しい」と言われていましたが、思わず「俺は絶対に切らない」と宣言しました。とは言っても当時は舌がうまく動かず話せない状況だったので、ノートに殴り書きしたのを見せたのですが……。
そんな状況でしたから、2度目のセカンドオピニオンの先生から「放射線療法と化学療法でも十分対応できる可能性があります。術後のQOLを優先したいのならやってみますか」と提案されたときは、とてもうれしかったですね。さらにメリットだけでなくデメリットもきちんと説明されたこと、また放射線療法も保険が適用できる方法を勧められたことで「この先生なら信頼できる」と感じ、治療をお願いすることに決めました。

治療の副作用で味覚障害が発症

2ヵ月半ほど入院し、放射線療法と化学療法で治療しました。入院前は思うように口が開けられず話せなかったのですが、治療が進むにつれて腫瘍が小さくなったのか、ある日突然話せるようになりました。放射線の照射で口腔内が荒れ、多少痛みはありましたが、自由に話せることのほうがうれしかったです。先生や看護師さんたちもいい方ばかりで、入院生活は思っていたより快適でした。

退院後は1ヵ月ほど自宅療養した後に復職しました。今は3、4ヵ月に1度の経過観察のみで、特に治療はしていません。経過は順調ですが、治療による副作用もありました。一番つらかったのは味覚障害です。味覚がぼやけるというか、食べてもかなり集中しないと味がわからないような感覚が、治療後1~2年続きました。「味はしなくても食べられるならいいじゃないか」と思われそうですが、食べたときに味がしないのは悲しいですし、みじめな気持ちにもなります。もともと食べることが大好きで、趣味は料理と食べ歩きでしたから、味覚障害により自分のアイデンティティーを奪われたように感じました。

岡部 憲治さんのインタビュー時の写真

味覚障害のつらさを周囲の人にわかってもらえないのも、またつらかったです。周囲の人が食に関する話をしていると、体が萎縮するような感覚になります。悪気はないとわかっていても、「味覚障害があることは知っているのだから、配慮してくれてもいいのではないか」と思うこともありました。放射線科の先生には「自然に回復してくるのを待つしかない」と言われていたのですが、このまま味覚が元に戻らないのではないかと絶望的な気持ちでした。

今は不安定で波があるのですが味覚が戻ってきていて、完全では無いにしても、もう少し時間が経てばある程度までは回復するのでは、と希望が持てるようになりました。病気になる前は味にうるさく食に対するこだわりが強いほうでしたが、味覚を失った経験から今は、食へのこだわりは無くなりました。

「病気になった不幸な自分」に縛られず、
「がんになったからこそできること」に取り組む

僕はがんになってから、劣等感を抱えてきました。この年齢でこんな病気になって、味覚障害もあって、みじめで。幸せそうな人たちを見ると何となく暗い気持ちになることもあります。今は順調でも、この状態がずっと続くとは限らない。再発の不安をずっと抱えながら生きていくわけですから、健康な人たちに対する劣等感はこの先も完全に消えることはないと思います。
でも、「病気になった不幸な自分」だけに縛られていても、かえってつらいだけです。「がんになっても頑張っているね」と言ってもらえる場所が必要だと感じ、僕は大阪を拠点に活動する「ダカラコソクリエイト」というプロジェクトに参加するようになりました。「ダカラコソクリエイト」は、サバイバー「だからこそ」の視点から新しい価値を生み出すことを目指して、闘病中にかけてもらってうれしかった言葉をLINEのスタンプにしたり、3Dプリンタで作った医療機器のミニチュアキーホルダーをつくったりと、ユニークな活動を行っています。意欲的な人たちが集まっているので、一緒に活動することでたくさんの刺激を受けています。

岡部 憲治さんが制作した羊毛フェルトを使った動物のマスコットの写真

個人的にも、味覚障害で食べ歩きや料理ができなくなった代わりに、カメラやヨガ、羊毛フェルトを使った動物のマスコット作りなどの新しい趣味を見つけて楽しんでいます。今年のゴールデンウイークには、お遍路にも挑戦しました。がんになったことを受け入れるのは簡単なことではありませんが、失うものはあっても新しく見つかる楽しみもあると今は感じています。
また、自分の経験を生かして行動することが、もしかしたら社会を変えるきっかけになるかもしれません。例えば、高齢の方が介護サービスを利用する際にケアマネジャーが一人つくように、AYA世代のがん患者にも、本人が希望すれば伴走役としてソーシャルワーカーが無料で一人ついてくれて、告知直後から治療の選択、入院中の生活、在宅に復帰してからの就労のことまで、包括的にサポートしてくれる制度があれば、患者も家族も安心できるのではないでしょうか。僕はAYA世代のがん患者はいろいろな制度のはざまで埋もれていて、公的な支援が十分でないと感じています。自分一人でどうにかできることではありませんが、今後は自身のこれまでの経験を社会に還元する、そんな活動ができればうれしいですね。特に今一番考えていることは、自分自身ソーシャルワーカーの資格をもっているので、将来的にはマギーズ東京(がん患者が無料で相談できたり、寛ぐことができるスペースを提供)の関西版を作り、関西のがんで悩んでいる方達の不安や絶望を軽減することに貢献したいと考えています。

こちらも読まれています

  • 監修:国立がん研究センター中央病院 清水 研 先生